子どもがことばを話し始めるとき、私たちはつい「発語の有無」に目を向けがちです。 しかし、ことばの獲得は「音をまねること」から始まるわけではありません。 もっと静かで、もっと深いプロセスが先に育っています。
それは、理解です。

こんにちは。
「ちゃ」と申します。
娘が3人います。
言語聴覚士として働いています。
コミュニケーションについて沢山考えたいです。
子供達には英語を身につけて、世界中の人とコミュニケーションを楽しんでもらいたいです。
そのために、できる事を日々考えています。
少しでも背中を見てもらえるようにと、英検1級等を取得しました。
初語の前に必要なこと
子どもにとって、ことばを理解することと実際に発することでは必要な力が違います。理解には、場の状況や雰囲気、大人の表情、そして声の調子といった手がかりが使えるのですが、発話には細かな発声のコントロールが必要になるので、ずっと難しいのです。そのため、子どもは話し始めるより先に、「わかっている」サインを行動で示すようになります。たとえば生後10か月ごろには、「お外に行こうね」と声をかけると窓の方を見るなど、大人のことばの意味をつかんでいる様子が見られます。
ただ、ことばをはじめ、生まれてから、この世界で見聞きする物事は、すべてがはじめてなので、理解しなければいけないことが無数にあり、(当たり前ですが)簡単な話ではありません。
『言語は音韻、文法、語彙のすべてにおいて複雑な構造を持っている巨大な記号の体系である。まったくの初学者である子どもは、その一つひとつを分析し、解明しないと、自分で自由に使えるようになれない。母語を使いこなしている大人にとっても、言語の構造を分析し、理解するのは至難の業である。だが、言語を学ぶ幼い子どもは、好むと好まざるとにに関わらず、自分で仕組みを発見しなければ、言語を使えるようになれないのだ。』(『言語の本質』今井むつみ、中公新書、2023年』)
ことばの獲得において、まず必要なのは「理解」です。それは子ども自身が行う能動的作業です。
この視点は、言語発達の研究でも非常に重要とされています。 子どもは、ことばを「音の羅列」としてではなく、意味のまとまりとして捉える力を先に育てています。
そのため、まだ発語がなくても、「指示が通る 」、「状況を理解して動ける 」、「表情で反応する」
といった理解のサインが見られることが多いのです。
子どもも、子どもなりのスキーマを持っていて、それを使い、予測しながら大人の発話を理解している。そもそも大人は、小さな子どもに話しかけるとき、発達段階に応じて話す内容も言いかたも調整している。子どもが知らないような概念スキーマを必要とする内容を大人は話さないし、構文や表現も、子どもが理解できるように無意識に調整しながら話す。しかも、子どもは表情だったり、ジェスチャーだったり、指差しだったり、音声以外にも豊かな情報を受け取る。音声以外の情報から多くの手がかりを得て、子どもは大人の発話の意味を理解するのである。(『英語独習法』今井むつみ、岩波新書、2020年)
赤ちゃんは私たちが想像するよりはるかにいろいろなことを懸命に考え、周りで起きることを理解しようと頑張っているのです。
そして理解に支えられて、ことばは意味を持ち、子どもはそれを使えるようになるのです。
これは、ことばが「意味を理解して初めて使える道具」であることを示しています。 道具は、使い方を理解して初めて、役に立ちます。 ことばも同じで、理解があるから、ことばは道具として機能するのです。 この視点は、ことばの発達を考えるうえで欠かせません。
逆に、意味の理解が曖昧なまま音だけ覚えても、 ことばの本質が見失われた形だけのものになります。
大切なのは「理解を育てる関わり」
ことばを増やしたいとき、つい「単語を教える」ことに意識が向きがちです。 もちろんそれも大切ですが、もっと根っこにあるべきものは 理解を育てる経験です。
理解が育つと、ことばは自然と出てきます。 ことばは「教えるもの」というより、「理解の上に芽生えるもの」なのです。
余談ですが、私が病院や施設で患者さんや利用者さん達のリハビリのお手伝いをしていて、彼らにそのリハビリの必要性や意味を理解していただけた時、「リハビリが捗る」と感じる時があります。
また、私自身も成長して、勉強の必要性を実感しないと、学ぶことに前向きになれませんでした。
私の話はさておき、その理解を育てるためには、「わかりたい(理解したい)」と思ってもらえる関わりが必要です。
それは「楽しさ」であったり、「興味」や「関心」であったりします。

このような気持ちを育てることが何より大切です。そのためには、周りの大人が“楽しいコミュニケーションの場”をつくることが基本になるのではないでしょうか。
推察
子どもは、ことばをはじめとする物事を理解するために、自分で色々考えていることは前述したとおりですが、いろいろと子どもなりに推察もしています。
実験ではラベルづけのとき実験者はけっして目標となる(ラベルづけがされるべき)事物を見ることはない。実験者は子ども「24か月児」の目をじっと見ながら「トーマを探そう」と言うだけである。実験者はその後いくつかのバケツの蓋を開けてみる。最初の2つのバケツでは、開けて中を見た実験者は不服そうな声を出す。3つめでは興奮した様子をし、中にあった事物(ターゲット)を取り出して子供にわたす。この時もラベルづけは行わない。この一連の出来事のあとで、子どもに5個の事物を見せて「トーマを持ってきて」と尋ねると、正しく子どもは3つめのバケツの中にあったターゲットを持ってくることができた。名称を聞かれれば、新たに学んだ名称「トーマ」をいうことができた。(『英語独習法』秦野悦子・編、大修館書店、2002年)
このように、実際に「これはクルマ」や「あれは山」などとことばをひとつずつ指さしてもらって覚えていくわけではなく、いろいろな状況などから判断して、予測を立て、物事を理解していきます。
アブダクション推論(abductive inference)とブートストラッピングサイクル(bootstrapping cycle)にも書きましたが、子どもは色々なことばを学ぶ過程で、自身で思考を巡らせ、ほかのことばと関連付けながら、ことばの意味を考え、推論しながら、トライアル&エラーを繰り返して、ことばを覚えていきます。
まとめ
ことばの獲得は、音を覚えることではなく、世界を理解するプロセスそのものです。 理解が深まるほど、ことばは豊かに、そして確実に育っていきます。
理解とは、単にことばの意味を知ることではなく、状況・文脈・相手の意図を総合して「世界をどう捉えるか」という認知の営みそのものです。 子どもは大人の発話を、音としてではなく「意味のかたまり」として受け取り、自分の中にあるスキーマと照らし合わせながら、少しずつ世界の構造をつかんでいきます。 そのため、理解が深まるほど、ことばはより確かな道具として機能し始めます。 逆に、理解が伴わないまま音だけを覚えても、それは「形だけのことば」であり、使いこなすことはできません。
そして、理解のプロセスには、もう一つ重要な側面があります。 それが 「推察」 です。
子どもは、与えられた情報をただ受け取るだけではありません。 大人の表情、声の調子、行動、状況の流れなど、あらゆる手がかりを統合し、 「きっとこういう意味だろう」 「たぶんこれを指しているのだろう」 と、自分なりに仮説を立てながら世界を理解しようとします。
理解と推察は、別々の能力ではありません。 むしろ、相互に支え合いながら、ことばの獲得を前に進める車の両輪のようなものです。
理解があるから、子どもは推察の精度を高められます。そして推察を繰り返し、理解がより深まり、ことばの意味が確かなものになっていきます。
この循環(ブートストラッピングサイクル)が回ることで、子どもは自分の力でことばの世界を広げていきます。
ことばは「教えられるもの」ではなく、理解と推察の積み重ねの中で、子ども自身が発見していくものなのです。
そして、私たち大人ができる最も大切な関わりは、 子どもが「わかりたい」「知りたい」と思えるような、 楽しく、安心でき、興味を引き出すコミュニケーションの場をつくることなのだと思います。



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