お母さんのお腹にいる時はもちろん、生まれたばかりの赤ちゃんの頃のことは、誰も覚えていません。なので、私たちはその時、何を見たり聞いたり、そして考えたりして、この複雑なことばを身につけていったのか不思議でなりません。
ここでは私たちがほぼ無意識(?)のうちに身につける事ができている母語がどのようなきっかけで、学び始めているのか、掘り下げてみます。
音の世界(胎児〜6ヶ月)
今井むつみさんの「英語独習法」という本の中で、下記の文章がありました。
乳児は、母語の特徴的な韻律のパターンを母親のお腹にいるときから学習し始める。母語で単語を区別するために必要な音の単位である音素を見つけるのは誕生後であるが、0歳代のときだ。
じつは世界中の赤ちゃんは、生まれてすぐは、すべての言語で区別される音をもれなく区別することができる(聴覚障害などがない限り)。そこから、自分の母語の音素をを探索し、音素のレパートリーを作っていく。英語の場合には、r,lは異なる音素であり、この二つの音の聞き分けができないと、race/lace,rice/liceなどの単語の区別がつかない。だから、英語を母語とする赤ちゃんは(もともと区別できた)rとlの区別を保持し、さらに敏感に注意を向けることを学習する。では日本の赤ちゃんはどうだろうか?日本語にはrとlの区別はない。母語で必要のない音の区別をし続けると、情報処理のリソース(認知的資源)は限られているので、その分、他の必要な情報に注意を向けることができにくくなる。つまり、母語で必要とされる音の区別は残しつつ、必要のない音を区別する能力(音への注意)は捨ててしまったほうが、母語を学習するには、有利だ。だから赤ちゃんは1歳くらいまでに、不必要な音の区別には注意を向けなくなる。母語に必要な音の区別だけを残し、音素を効率よく区別できるような情報のシステムを作るためである。 (『英語独習法』今井むつみ、岩波新書、2020年)
無邪気に見える赤ちゃんも、複雑なことばの世界に足を踏み入れる準備を、色々としていることがわかります。

ただ、色々な人の努力で少しずつ、赤ちゃん達が何を感じて、どの様に世界を見つめているか分かってきています。
胎児期:音の世界への最初のアクセス
子ども達が、妻のお腹の中にいる時、産婦人科の先生から、「お腹の赤ちゃんに話しかけてあげてください。赤ちゃんは聞こえていますから。」と言われ、嬉しがって、色々と話しかけていました。
ただその時は、「赤ちゃんがこちらの話しかけを本当に理解している」とは思っていませんでしたし、「実際に聞いてくれている」ともあまり思っておらず、自己満足や「おまじない」の様なものだったと思います。
しかし、冒頭のような文章を読んで改めて、その時の私たちのしていた事に少し、意味があったと納得できました。
お腹に赤ちゃんを身ごもっている方は、ぜひ、「言語発達」の観点からも、声をかけてあげていただいたら良いと思います。

出生直後:母語のリズムを聞き分ける力
「世界中の赤ちゃんは、生まれてすぐは、すべての言語で区別される音をもれなく区別することができる」とありました。
この表現は、少し違った受け取り方をしてしまいそうなので、厳密な表現をしてみると、「どの赤ちゃんも周りで話されたりしている音を、少しの偏見も持たずに、聞き入れている」ということです。
たとえば、「L」と「R」を区別しない私達は、「ライト」を/light/と発音しても、/right/と発音しても、ほぼ日本語となっている「ライト(照明)」という意味で、大きな違和感なく伝える事ができます。
LとRの音の間に厳密な違いの境界線は無く、連続的なものなのです。
「Lの発音は舌を上の前歯の裏側に当てて発音して、Rの発音は舌を巻いて発音する」と習うことが多いですが、どの程度舌を巻いたらRになるのか、どの程度巻かなかったらLの発音になるのかというのは、それらを使い分けているほとんどの英語のネイティブスピーカーでも明確に説明できません。
つまり、それらの音の違いはグラデュエーションのようなものになっていて、ある程度舌を巻いて発音されると、ある地点から、彼らははっきりと「L」に聞こえて、ある地点から「R」に聞こえるように癖づいてしまっているのです。LとRの間にははっきりとしない中間的な音があるはずで、英語が話される時、その中間の音はいくらでも知覚されているのに、ネイティブスピーカーの間で認識される時には、LとRの間にはしっかりと境界線が引かれるのです。
つまり、そのような境界線を赤ちゃんのうちに認識できるようになるということは、何も話すことができない、生まれたばかりの赤ちゃんでも、しっかり周りで話されている声(ことば)に耳を傾けて、周りの人がどのような特徴を持たせて喋って、コミュニケーションをとっているのか考えているのです。
新生児期~2ヶ月頃
生まれてきたばかりの赤ちゃんはもちろん喋れないので、明確に私たちが行う様なコミュニケーションをとる事はできません。
しかし、その様な赤ちゃん達でも、養育者とコミュニケーションをとるのに必要な社会的能力を持って、生まれてきます。
それは、例えば「空腹時や排泄時に泣く」事であったり、「身近な養育者の声を聞き分ける」事であったり、「養育者の高い音域の声掛けを好み、それに反応する(笑顔を作る)」事であったりします。
このような当然とも思える、養育者とのやり取りが、「表現→応答」という「原コミュニケーション」ともいえる構造が生み、コミュニケーションの基礎を築いていきます。
2〜3ヶ月:クーイングと喜色満面の笑顔
2ヶ月目に入ると養育者と目を合わせ、「アウアウ」といった、クーイング(cooing)といわれる表出が沢山みられるようになります。
また、乳児は養育者の口元を見て、その動きに引きずられるように口を動かす、共鳴動作(coaction)といわれるものが見られるようになります。
新生児の頃も口元がほころぶ微笑(新生児微笑)がみられることがありますが、3ヶ月を過ぎるころから、養育者の声掛けや微笑みかけ等、働きかけられた応答としての喜色満面の笑顔が見られるようになります。
これが現れるようになったかどうかは、養育者と子どもの関係発達の指標になります。
また、このような微笑み合いの経験は養育者にとっても肯定的な経験となり、養育に対する自信を深め、コミュニケーションを深める動機付けにもなります。
この時期の親子のやり取りには「情動調律」と呼ばれる重要な働きがあります。養育者が赤ちゃんの気持ちの強さやテンポに合わせて声や表情を調整することで、赤ちゃんは安心し、情動のコントロールやコミュニケーションのリズムを学んでいきます。
この気持ちのチューニングは、後の言語発達や社会性の土台になります。

4〜6ヶ月:頸定と数の認知
4ヶ月を過ぎると、首が座ってきて(頸定)、多くの赤ちゃんは周囲を見渡せたり、事物をしっかり見つめるようになります(定位)。
それを、子どもが興味を持ってい見ていると養育者が思い、それを子どもの目の前に掲げたり、差し出したりして子どもが自ら手を伸ばしてつかみにくることを期待します。
そして、それをつかむ事ができたのを見て、喜び、それを繰り返したりします。
このように「誘いかけて応答する」構造が築かれて、コミュニケーションの幅が広がりを見せるようになってきます。
また、今井むつみさんの『ことばと思考(岩波新書)』によれば、生後5ヶ月ほどの赤ちゃんは、1〜3といった少数であれば数量を区別できることが実験から示されています。これは「生得的数感(number sense)」と呼ばれる能力で、言語を獲得する前の段階から、赤ちゃんの脳には数量を処理する仕組みが備わっていることがわかっています。

言葉を覚える前から、赤ちゃんはすでに世界を「数」という切り口で世界を理解し始めているのです。
共同注意 → 三項関係(意味の準備)
赤ちゃんが喃語を発し、周囲の音を聞き分けられるようになると、次に必要になるのが 「大人と同じものを見る力(共同注意)」 です。 これは、赤ちゃんが大人の視線や指さしを追い、「いま大人は何に注意を向けているのか」 を読み取ろうとする力です。
そして、この共同注意が育つことで、 大人・子ども・対象物の三つがつながる「三項関係」 が成立します。
例:大人が鳥を見て「ほら、鳥さんだね」と言う → 赤ちゃんも同じ鳥を見ている → 「この音(ことば)は、この対象を指すんだ」と理解が始まる
つまり、共同注意ができるようになる → 三項関係が成立する → ことばの意味が一気に広がる(三項関係の詳しい話は「三項関係(子どもがことばを獲得できる理由)」にもにも書いています。)
という流れで、赤ちゃんは「音」から「意味」へと世界を広げていきます。
喃語(音の準備)
そして、6ヶ月ごろになると、「アブアブ」「バババ」「ダダダ」 のように、 子音+母音のまとまりを繰り返す音声を発し始めます。これが 喃語(なんご) です。一見すると意味のない音ですが、実はここにはことばを話すための重要な準備が詰まっています。
つまり、喃語は「かわいい声」以上の意味を持っているということです。
赤ちゃんは周囲の言語を聞きながら、 必要な音を選び取り、不要な音を捨てていく という高度な学習をしています。そのため、喃語には次第に日本語らしいリズムや音が現れます。
そして、舌・唇・声帯を動かしながら、ことばを話すための筋肉の使い方を練習しています。
7〜12ヶ月:4つの力

養育者に呼びかけ振り向かせる発声
喃語は次第に「誰かに向けて」発せられるようになり、 大人が反応すると赤ちゃんはさらに声を返します。
これは会話の順番交代(ターンテイキング)の基礎であり、情動調律とも深くつながります。
喃語は意味のあることばではありませんが、母語の音を学び、発声器官を鍛え、コミュニケーションのリズムを身につけるという、ことばの世界に入るための大切な準備段階です。
養育者とまなざしを合わせようとするアイコンタクト
7ヶ月頃になると、療育者がどのように関わってくれるか、予期できるようになっています。
そのため、養育者主導のコミュニケーションから、子どもが養育者に働きかける、子ども主導のコミュニケーションが増えてきます。
喃語とは違う、養育者を求め、「ンン」という様な発声で、養育者を振り返らせ、呼び寄せ、「あれ取って」というような意思表示で養育者に要求を伝えます。
この時に、ことばや発声以上に大切なのがアイコンタクトで、養育者と気持ちがひとつになる瞬間です。
コミュニケーション的文脈の下での指さし
また、指さしも活発になり、養育者とのコミュニケーションの媒体になります。
指さしは、子どもが自分の要求や欲求の対象を自発的に養育者に指示する行為として、そして自分の興味の対象に養育者の注意を向けさせるための自発的な行為である一方、「~はどれ?」などの養育者からの対象指示を求める働きかけへの応答としての行為でもあります。
特に後者の場合は、大人の言語的な働きかけをある程度理解できる素地が必要で、この頃は周りで話されていることばを理解できるようになってきます。
また、この頃になると、「これなあに?」や「この名前を言って」等という意味合いで、絵本を子どもが指さしてくるようにもなります。
子どもが本当に名前知らない対象を指さすよりも、知っているものを指さしして、養育者に言ってもらい、共感の確認をしようとします。そしてこのことは、話し言葉が現れる前に言語理解が進んでいることにもなります。
また、養育者が差し出したものを子どもが受け取り、受け取ったものを「それちょうだい」と養育者が求めると、渡してくれる「やりとり」がようになるのもこの時期で、ことばが出始める時期に重なります。
「いやだ」「ちがう」を意味する否定的なトーンを帯びた発声
そして、このような養育者と気持ちを重ねる共感を土台にしたコミュニケーションが主でしたが、「いや」と誘い掛けに対して拒否する、表現もできる様になります。
これは「養育者と自分とは違う」という別個の主体だと気づく契機になるのです。(主体性の萌芽)
「呼びかけの発声」と「アイコンタクト」、「指さし」そして「否定的を表す発声」の4つの力を身につけることで養育者とのコミュニケーションは促進され、言語発達の礎(いしずえ)となっていきます。
まとめ
赤ちゃんは、ことばを話し始めるよりずっと前から、音・社会性・意味の三つを結びつけるための準備を段階的に進めています。
- 胎児期〜新生児期では、母語の韻律を聞き分け、世界中の音を偏りなく受け入れる柔軟な聴覚システムで周りの人が話していることばの音の切り分け方の特徴をつかみ取ろうとします。
- 2〜6ヶ月には、情動調律やクーイングを通して「表現→応答」の原コミュニケーションが成立し、社会的なやり取りのリズムが形づくられます。
- 6ヶ月以降は、喃語によって母語の音を選び取りながら発声器官を鍛え、共同注意と三項関係を整えることで「音」と「意味」が結びつき始めます。
- 7〜12ヶ月には、呼びかけの発声・アイコンタクト・指さし・否定の表現といった4つの力が揃い、主体性を持ったコミュニケーションが急速に発達します。
これらのプロセスは、どれか一つでは成立せず、音の学習・社会的相互作用・意味の理解が相互に影響し合うことで、赤ちゃんは「ことばの世界」へと入っていきます。 言語発達とは、単なる知識の暗記ではなく、赤ちゃんと大人が世界を共有しようとする営みの積み重ねなだと分かります。
| 【胎児期〜新生児期】 ↓ 音の認識の土台ができる 母語のリズムを聞き分ける 世界中の音を区別できる柔軟性 ↓ 【2〜6ヶ月】 原始的なコミュニケーションの成立 情動調律(大人と気持ちが同期する) クーイング(声のやり取りの始まり) ↓ 【6〜9ヶ月】 音と社会性が結びつき始める 喃語で母語の音を選び取る 共同注意(同じものを見る) 三項関係(大人―対象―自分の三者関係) ↓ 【9〜12ヶ月】 意味への橋渡しが起こる 指さし(要求・共有) 呼びかけの発声 アイコンタクトの意図的使用 否定の表現(嫌がる・拒否) ↓ 【1歳前後】 「音 → 社会性 → 意味」が統合される 初語の出現 意味の急速な拡張(語彙爆発の準備) |


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