言語の違いが世界の見方を変える:学びの可能性を探る

コミュニケーション

「引く」は何を意味する?多義性が育てる推論力

ウォーフ仮説

「われわれは、生まれつき身につけた言語の規定する線にそって自然を分割する。われわれが現象世界から分離してくる範疇とか型が見つかるのは、それらが、観察者にすぐ面して存在しているからというのではない。そうではなくて、この世界というものは、さまざまな印象の変転きわまりない流れとして提示されており、それをわれわれの心ーつまり、われわれの心の中にある言語体系というのと大体同じもの—が体系づけられなくてはならないということなのである。われわれは自然を分割し、概念の形にまとめ上げ、現に見られるような意味を与えていく。そういうことができるのは、それをかくかくの仕方で体系化しようという合意にわれわれも関与しているからというのが主な理由であり、その合意はわれわれの言語社会全体で行われ、われわれの言語のパターンとしてコード化されているのである。」
(B・L・ウォーフ著、池上嘉彦訳『言語・思考・現実』)

私達は、周りで使われている言葉にそって、まわりの世界を「これは○○」「あれは△△」と分けています。世界には色々な物の見え方がり、どの様に分けるかは、みんなで決めた言葉のルールに沿って決めています。

日本語では「青」と「緑」を明確に区別しますが、かつては両方を「あお」と呼んでいました。今でも信号は「青」と言います。 一方、英語では “blue” と “green” をはっきり分けます。 この違いは、色の境界線をどこに引くかが言語によって異なることを示していて、まさに「自然を言語の線に沿って分割している」例です。

この他、イヌイット語には雪を表す語彙が十数種類以上あり、生活環境に応じて細かく分類されています。一方、日本語では「粉雪」「みぞれ」など数種類にとどまります。これは、言語が文化や環境に応じて認知の枠組みを形成していることを示しています。

ベンジャミン・リー・ウォーフ(1897–1941)はアメリカの言語学者で、言語相対論(ウォーフ仮説)を提唱した人物です。彼はマサチューセッツ工科大学で化学を学び、保険会社で防火技師として働く傍ら、言語学と人類学に関心を持ちました。1931年からイェール大学でエドワード・サピアの指導を受け、ネイティブ・アメリカンの言語研究を通じて「言語が思考や認知に影響を与える」という理論を展開しました。彼の研究は、言語が単なる伝達手段ではなく、世界の捉え方そのものを形づくる力を持つことを示しています。

この様に言語によって物事の捉え方にズレがあり、英語等、他の国の言葉を勉強していると、「これを日本語にうまく訳せないな」や「日本語から英語に訳し辛いな」等と思った事がある人は多いと思います。

言語の多義性

また、言語には多義性があると言われています。

多義性とは、ひとつの語が文脈によって異なる意味を持つ性質のことです。たとえば「引く」という言葉は、「ドアを引く」「線を引く」「風邪を引く」「辞書を引く」など、物理的な動作から比喩的な行為まで幅広く使われます。このような多義性は、単なる曖昧さではなく、認知の柔軟性や意味の拡張力を支える重要な特徴です。学習者にとっては混乱のもとにもなりますが、文脈を通じて意味を推測する力を育てる貴重な機会でもあります。

英語を勉強していて、分からない単語を辞書で調べると、4つも5つも1つの単語の意味が載っている事があります。そんな時、「どれを当てはめれば良いのか分からない」という様な無力感に襲われた経験があるのは私だけではないと思います。

そして、日本語のいい例が「よろしくお願いします」です。

ある程度、英語で言いたい事が言えるようになってから、ふっと誰かに、「『よろしくお願いします』って英語でなんて言うの?」と訊ねられた時、即答できませんでした。

この「よろしくお願いします」を今流行の人工知能に英語にしてもらうと…

日本語の「よろしくお願いします」英語での言い方用途・ニュアンス
今後ともよろしくお願いしますI look forward to working with you.ビジネスや初対面の挨拶でよく使う
ご協力よろしくお願いしますThank you in advance for your cooperation.依頼やお願いの場面で丁寧に
どうぞよろしくお願いしますNice to meet you. / Pleased to meet you.初対面の挨拶でカジュアルに
引き続きよろしくお願いしますThank you for your continued support.継続的な関係性を意識した表現

となりました。

私達はこの「よろしくお願いします」を意識せず、色々な場面で多用していますが、考えてみると上記の様に、それを使う場面によって、その具体的な意味が少しずつ違ってきます。

この他にたとえば、「開ける」という言葉は、ドアを開ける、袋を開けるとは言えるけど、みかんは普通「開ける」とは言いません。このように、言葉の使い方には一般化の範囲があって、私達は子供の頃から経験を通じて学んでいきます。

いったん言葉の学習が始まると、最初はほんの少しの知識だったものが新たな知識を生み、どんどん成長していく事ができます。

この様なプロセスを「ブートストラッピング・サイクル」と言い、身体感覚や文脈との結びつきから意味を推測し、新しい語彙を獲得していきます。つまり、多義性は言語の進化や習得において、誤りを含んだ推論を通じて意味を広げていく力(アブダクション推論)に支えられています。

この様な事から、言葉の多義性が「混乱」ではなく「ブートストラッピング・サイクルの為の創造の源」だと捉え、その言葉を学習すると、前向きに楽しみながら学習できるのではと思います。

言語が世界の見方を形づくる ― ウォーフ仮説と英語学習の可能性

ウォーフ仮説は、「人は生まれ育った言語の枠組みに沿って世界を分け、意味づけている」という考え方です。色の境界線や雪の種類など、言語によって自然の分け方が異なる例は、文化や認知の違いを鮮やかに映し出します。

この仮説を応用すれば、英語を学ぶことは単なる言語習得ではなく、「英語らしい世界の切り分け方」を身につける訓練になります。たとえば、「on the bus」と「in the car」の違いや、「some」と「any」の使い分けは、空間や数量の認知に新しい視点をもたらします。

また、言語の多義性は、学習者にとって混乱のもとであると同時に、意味を広げる創造の源でもあります。「引く」や「よろしくお願いします」のように、ひとつの言葉が文脈によって多様な意味を持つことは、認知の柔軟性や推論力を育てる貴重な機会です。

このような言語の性質を理解したうえで英語を学ぶと、単語や文法の暗記を超えて、「世界の見方を増やすこと」へとつながります。英語で考える時間を増やし、文化背景を学び、言語の違いを比較することで、思考様式や価値観の幅が広がり、学習がより深く、楽しく、意味あるものになるでしょう。

参考図書 『言語・思考・現実』 B・L・ウォーフ 著、池上嘉彦 訳(岩波書店) 『ことばと思考』 今井むつみ 著(岩波新書)『言語の本質』 今井むつみ 著(中公新書)

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