原点

障害者について

 約20年前(20代の頃)は電気工事士として肉体労働をしていましたが、突然倒れ、1年程入院などで、療養生活を送ることになりました。倒れた当時は、1ヶ月間程意識がなく、意識が戻ってからも、しばらく寝たきりの生活を送ることになりました。倒れる前は人一倍身体を動かすことに自信を持っていました。仕事の他に毎日スポーツに明け暮れる日々を過ごしていましたが、気がつけば身体の半分が動かなくなっていて、医師からは「君の身体は治らない。今後、障がいと仲良くしていかなければならない。」と言われました。「身体を動かすことだけが生きがい」のような生活をしてきただけに、その医師の発言は大げさかもしれませんが、死刑宣告に近いものがありました。それを聞いた時、病棟の詰所だったので私の周りには沢山の人(看護師さんたち)がいましたが、それをはばかることなく大泣きをしたと思います。

 意識が戻ってから数日経っていて、薄々ですがそのようなことに気がついていたのですが、医師からそのように断言された時は、絶望の谷底に落とされたような気持ちでした。そのような状況で、簡単に周りから「元気を出せ」と励まされても、元気が出る訳もなく、何日も絶望の淵を彷徨っていました。周りの家族も戸惑い、どの様にして接したらいいか分からず、同じように絶望していたと思います。私自身もどうしたらいいか分からず、周りの人(主に家族)に当り散らすことだけしかできていませんでした。

 友人をはじめ様々な人がお見舞いに駆けつけ、気を紛らしてくれました。どのように接したら良いかわからなかった方もたくさんいたと思います。私自身は、自分の状況を1人になって改めて認識することが怖かったので、そのように人が来てくれ、たわいもない事を喋ってくれるだけで、気が紛れて本当に助かりました。今でも誰が見舞いに来てくれたか、よく思い出し、ひっそりと心の中で感謝しています。

 そんな中、友人の1人が時々、「これなんて意味なん」などとたわいもない英語の文章の意味を聞いてきて、(少し英語が得意だったので)それに答えると、「ありがとう」と言ってくれていました。後日、彼に改めてそのような行動を取った裏にはあるCDを聞いたためだと、教えてくれました。

そのCDは「河島英五LAST LIVE」というものでした。その中で、河島英五さんは

「看護婦さんを含め、付き添いの人たちにしょっちゅう気がついたら『ありがとう ありがとう』って言ってるんです。心の底から『ありがとう』という気持ちが湧いてくるんです、正直。でもねぇ、2ヶ月ずーっと『ありがとう どうもありがとう』と言ってるとね、ふっとねぇ、『俺も言われたい』と思うね。要するに、やっぱり『人間てのは励ましたり、励まされたり、感謝したり、感謝されたりしてバランスが取れてるんやなーっ』てすごい思いました。だから皆さんの中にね、もしかしたら寝たきりの方、お年寄りの方、身体の不自由の方、病気の方、怪我の人いるかも知れません。それで、その時ね、これは僕からの本当アドバイスですけど、してあげてばかりだと、向こう『ありがとう』ばかりしか言えないでしょ。是非ね「ちょっとこれ手伝って」とか言って『ありがとう』って逆にこっち側が言えるようにしてあげるとね。やっぱり、その、それでバランスが取れるというか、要するに僕、手術室行く時とかでもね、同じように『あっ、この人手術待ってんねんな』という人おったら、『頑張れよ!』言うて声かけていきましたからね。やっぱり他人に「頑張れよ」って言われんのも嬉しいけど、他人に言うたら…自分の力もね、なんか湧いてくるんですよね。それはすごい思った。」(引用元:メモリアルライブアルバム 川島英五 LAST LIVE~今日は本当にありがとう~)と言っておられました。

 このCDを聴いた彼は、「あいつも同じように、しょっちゅう『ありがとう』って言っとるな」と気づき、その様にしてくれたようです。

 このようにして、私のプライドや希望そしてその原動力となる生きる力はつなぎ留めてもらいました。この体験は今までの自分にとってもそうですが、これからの自分の核となって生き続けると思います。

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