結局は遠回りになった(かも知れない)英語学習
社会人になってからも、節々で「現代社会ににおける英語学習の重要性」を感じたため、英語学習を続けてきました。そして、その甲斐もあって、難関と言われる「英検1級」や語学で唯一の国家試験である「通訳案内士」の試験を突破する事ができました。
ただ、ここに至るまで、「険しい」とは言わないまでも、「長い」道のりでした。その間、紆余曲折もありました。
私ごときの経験ですが、私の子供達をはじめ、これから英語の勉強を進める人ができるだけ無駄な事で悩んだりして、たちどまったりしない様に私のたどった道を振り返ります。
少しでもこれからの英語学習の参考になればと思います。
中学~高校
約40年程前の話ですが、中学生になってから、初めて英語に触れました。学校で勉強する1教科として始まりました。
他の教科も、国語が現代文と古文に分かれたり、算数が数学となり、小学校の勉強から急に全体的にレベルアップした様な印象で、「厄介なものが1つ増えた」ぐらいの印象しかありませんでした。
社会の機運としても、バブル景気真っ只中だったためか、「日本が1番」という感じで、「世界を意識する」事は微塵も私の頭にありませんでした。
そのために、「社会の決まりで学校で勉強しなければならない教科の1つ」ぐらいの気持ちでしか取り組んでいませんでした。
その様な意識で英語の勉強に取り組んだため、英語の単語や文法を憶えたり、理解する事は、歴史の授業で年号を憶えたり、数学で習った公式を計算問題に当てはめる事と大差なく、テストで点を取るための義務の様なものでした。
その様な感覚で取り組んでいた勉強だったため、面白みを感じることも無く、中学校と高校の6年間が過ぎていきました。
当時は、「テストの点数さえ取れればそれでいい」と思っていて(実際はその点数もあまり取れていませんでしたが)、英語を勉強する目的もテストで点数を取る事以外、他にはなく、勉強の仕方などを深く考える事はありませんでした。
その様な姿勢で取り組んでいた英語の勉強だったので、「できるだけ省エネで楽できる勉強方法」を常に探していた事を覚えています。
文法
英語を勉強し始めた当初は、「文法」を押さえる事が必須と感じて、習った文法を理解し、それを憶える事に一所懸命になっていました。
文法さえ理解し憶えさえすれば、「どんな英語の文章も理解できる(書ける)に違いない」と思っていました。
数学の様に、色々な数字を公式にあてはめると、問題が解けると思い、数学の公式に相当する(と私が思った)英語の文法を学習するだけで、何とかしようと思っていました。
その様な短絡的な考えで進めていた勉強で、英語の成績は上がるはずもなく、高校を卒業するまで、成績は5段階で「3」を超える事はありませんでした。
(基礎となりうる、英語の文法はこちらへこちらへ)
構文
そんな私が次に目を付けたのが、構文を憶える事でした。
大学受験に向けて、「できるだけ楽したい」と考えていた私は、当時本屋で見つけた、キャッチーなタイトルの参考書や問題集にばかりに釣られて、「構文を丸覚えしさえすれば、大学入試は攻略できる」という様なタイトルの物を購入して、勉強していました。
今、英検1級をパスできる英語力を身につけてみて振り返ると、この大学受験のために憶えた構文で「今でも役に立っている」と思うものは1つもありません。この時に覚えたものの中で、自然に使える様になったり、理解できるようになったりしているものがあるかもしれませんが、「この時に憶えたから」と言うよりは、後に読んだ英文で自然に身に付いたものがほとんどだと思います。
フレーズ
「只管朗読(しかんろうどく)」という言葉をご存じですか?
「通訳の神様」と言われた同時通訳の第一人者、國弘正雄先生が創られた言葉で、「意味の分かった英文をひたすら音読する」という意味です。事の大切さを提唱されました。
この「只管」という言葉は、鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元禅師が残した教えの「只管打坐(しかんたざ)」からきているそうです。只管打座は雑念をいっさい捨て去って、ただひたすら座禅を組み、修行する事です。
國弘先生は「英語をマスターするために、この只管朗読薦めて下さっています。
現在、色々な方が「英語をマスターする為には、英語のフレーズを沢山覚えるのが良い」という趣旨の事を言っておられるのを見聞きししますが、これは國弘先生の「只管朗読」に通じるところがあります。英文をひたすら読む事で、英語の文(フレーズ)を頭で考えて組み立てるのではなく、自分の血とし、肉とするという事で、深く考えずとも、口から英語がついて出る様にする方法です。
実際、私達が喋っている日本語も、1つひとつ文法を気にして喋る事なんてしないと思います。「なんとなく」言った事や聞いた事のある言葉やフレーズをつなぎ合わせている事が多いのではないでしょうか。
(参考:國弘正雄「國弘流 英語の話し方」,たちばな出版,1999年12月25日)
ちなみに、よく使用するので覚えておけば便利かと思ったフレーズは「英語のフレーズ」にまとめてみています。良ければご覧ください。
音楽
他の記事でも書いた事ですが、英語の歌の歌詞は、良い英語の学習素材です。
色々な歌の歌詞には、日常の英会話で使えるフレーズや勉強になる文法的な要素を含んでいる事があります。
また、発音の良い練習教材になり得ます。英語は日本語にないイントネーションや発音が多く含まれているため、歌を覚える様に発音の練習をすると、良い事があります。
実際に私が会った、ある幼少期から歌のレッスンを受けていた方は、本当に良い英語の発音をされていました。彼は英語の単語や文法の知識は英検3級レベルでしたが、ひとたび単語や短くて簡単なフレーズを発音すると、ネイティブの様な発音をされていました。
また、英語の聞き取りも得意にされていました。
この時に、音で捉える英会話と音楽の共通性というか親和性の様なものを、肌感覚で感じ取る事ができました。
この様な経験から、音楽(ポップミュージック)から英語を学ぶ事を、事ある毎に1つの勉強法として、色々な人に知ってもらいたいと思っていて、その補助となるページも作ってみています。良ければご覧ください。☞歌で勉強する英語
単語
なんとなく、「英語の勉強がレベルアップするためには単語を覚えなければいけないのでは?」と感じていましたが、「いったい何個あるかも分からない途方もない数の英単語を(全部)覚えるなんて、不可能だから、そんな非効率(と思われる)な勉強はやってられない。」と内心思っていた事もあり、単語は意識的には覚えるようにはせず、何度も聞いたり見たりする単語を少しずつ覚えていきました。
上記の様な勉強法で、ある一定レベルまでは到達できましたが、それより上は、意識的に英語の語彙数を増やす必要があると感じました。
これはあくまで、私だけの経験ですが、英検の準1級までは、沢山の英文に触れる中で自然に身につけた文法や語彙力で乗り切る事ができました。しかし、英検の1級となると、意識的な語彙数の増加が鍵となると考え、そこに取り組みました。
「通訳の神様」とまで言われた國弘正雄先生ぐらい朗読や音読を極められると、「意識的な単語の勉強」は「邪道」となるかもしれませんが、特に私に限っては、「語彙数の意識的な増加」が英検1級の原動力になったと思っています。(実際、実験的に英文の音読だけを1年間してみましたが、英検1級の筆記試験の点数は伸びませんでした。その後、意識的に語彙数を増やしたことで、点数が上がりました。)
まとめ
少し(今さら)訂正すると、「文法や丸暗記した」事等を否定的に書いてしまっていますが、それらは決して、「無駄だった」という事ではありません。
文法を理解し、それを憶える事は、深く英語を理解するうえで、不可欠な要素ですし、フレーズを見聞きしする中で憶えた事も役に立っています。
題名で「結局は遠回りになった(かも知れない)英語の勉強」としたのは、色々やって遠回りしたように思えますが、それぞれが必要不可欠で役に立っていると思っています。
ただ、1つ無駄だった事を挙げると、「1つの勉強法に固執してそこで足踏みする」事だと思います。
英語の勉強に限らず、なんでもそうですが、「色々な角度から挑戦(練習)し続ける」事が大切だと思います。
コメント