私が最初に思った事
言語聴覚士にになるための学校の授業で、「自閉症」や「アスペルガー症候群」、「学習障害」そして「注意欠陥多動性障害」等の発達障害をきちんと知りました。それまでは、その勉強をしていた知り合いに「自閉症」の事をかいつまんで聞き、映画「レインマン」のダスティ・ホフマン氏が演じた役柄のような人というぐらいの認識しかありませんでした。
冒頭の学校で、系統立ててこの事について習った時の最初の印象は、「こんな人は今まで出会った、学校のクラスメイトの中に何人かいた」というものでした。また、「この発達障害を診断などで明確にする事は『障害者』というレッテル(汚名の様なもの)を貼るだけの研究者にとっての自己満足だけではないか」というものでした。
ちょうどその辺りから世間での発達障害の認知度も上がってきたような気がします。特に、2008年の事ですが、私の子どもが生まれ、発達診断を受けた辺りから、周りの親や大人たちの間で「発達障害」や「自閉症」という言葉を頻繁に聞くようになりました。そして、職場で時折「彼は発達障害ではないか?」等と協調性に欠ける人を指して、陰口の様に聞く場面が増えたような気がします。
法制度
調べてみると、1990年代から医療・教育関係者や当事者によって啓発され、1990年代後半から2000年代にかけて医療機関や行政において次々に取り組みが開始されたようです。そして、2002年に初の実態調査である「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」が文部科学省により行われたことで「全小中学校児童のうち6.5%に発達障害の疑いがある」という結果が得られたそうです。この結果、発達障害者支援法という発達障害にとって初の法律ができました。(発達障害者支援法(平成十六年十二月十日法律第百六十七号):文部科学省 (mext.go.jp))そして、この様な結果から、2007年からは自閉症、学習障害そして注意欠陥多動性障害を新たに障害児教育の対象として踏み込んだ特別支援教育という新制度が発足されました。
そもそも発達障害とは
発達障害(Developmental Disabilities)という用語は、1963年に米国において誕生しました。日本に入ってきたのは1970年のはじめで歴史は思ったより古くなさそうです。
「広義の発達障害」では「発達障害」とは、 知的障害を含む包括的な障害概念で中途障害とは質が異なり、「知的障害」を中核とした、生涯に渡りさまざまな支援が必要な状態の事を言います。また、中途障害とは質が異なり、「知的障害」を中核とした、生涯に渡りさまざまな支援が必要な状態の事を言います。
「狭義の発達障害」では「自閉症スペクトラム障害(以下、自閉症)」や「学習障害」、「注意欠陥多動性障害(ADHD)及びその関連障害」「協調運動の障害」そして「言語の障害 」などを言います。(1発達障害表紙・はじめに・目次.0912doc (tokyo.lg.jp))
*「スペクトラム」とは境界線が曖昧でありかつ連続体という意味。
DSM-5における自閉症の診断基準
以下のA,B,C,Dを満たしていること
A:社会的コミュニケーションおよび相互関係における持続的障害(以下の3点で示される)
1.社会的・情緒的な相互関係の障害。
2.他者との交流に用いられる非言語的コミュニケーション(ノンバーバル・コミュニケーション)の障害。
3.年齢相応の対人関係性の発達や維持の障害。
B:限定された反復する様式の行動、興味、活動(以下の2点以上の特徴で示される)
1.常同的で反復的な運動動作や物体の使用、あるいは話し方。
2.同一性へのこだわり、日常動作への融通の効かない執着、言語・非言語上の儀式的な行動パターン。
3.集中度・焦点づけが異常に強くて限定的であり、固定された興味がある。
4.感覚入力に対する敏感性あるいは鈍感性、あるいは感覚に関する環境に対する普通以上の関心。
C:症状は発達早期の段階で必ず出現するが、後になって明らかになるものもある。
D:症状は社会や職業その他の重要な機能に重大な障害を引き起こしている。
世間の認識
自閉症をはじめとする発達障害に対する社会の認識は「障害」という名称がついているだけで、その診断を受けた人やその家族には重くのしかかってくるもの、という印象を受けます。実際は「あまり良く知らないが、彼らは私達普通の人とは違う向こう側の人達」という偏見に近い思いを抱いている人も多いように思います。特に、診断基準を設けている事が、そのような差別を促す様な「偏見」に近い区別を生む原因になっていると思います。
先に述べたように、発達障害の歴史は浅く、発達診断をくぐっている人は21世紀以降に生まれた人なので、今社会に出ている大人の方の多くは、そのような検査を受けずに育っています。そのため、「あいつは発達障害ではないか」等と集団の中で浮いた人を指して、陰口の様に指摘されている人をよく見ます。
私自身
職場でも、周りの人と協調できず、「あの人は発達障害ではないか?」等と噂をされる人があります。また、「同じ言語聴覚士を目指しているが、目指して勉強している過程で、自身も発達障害であるわかって、勉強が手に付かなくなった」というような相談を受けたことがあります。この様な事がある度に、「発達障害とは誰もが程度の差こそあれ、内包しているものではないか」と思います。
「私自身も、他人の気持ちを考えれていなかったな」や「空気を読めていなかったな」と振り返って思う事があります。また、考え事をしていたり、慣れた人ではない為、恥ずかしさの様なものが上回ってしまい、目を合わせて話できなかったりした事も1度や2度ではありません。また、勉強や家の手伝いはしないけど、好きな魚釣りの本は同じ本でも何回も見ているような中学生でした。
また、「発達の凸凹」という事に関しても、「個性の凸凹」とどう違うのかという議論がよくあります。確かに、程度の差で、「ここまでできなかったら、明らかにその他の人(子供)と違う」と言わざるを得ない事もありますが、「結局はそれも程度の差」でしかないと思っています。私自身も、小学生の頃は文字を目で追うのが苦手で、音読が人一倍苦手でした。明らかにクラスで一番下手でした。計算も人一倍遅く、99マスをの九九で埋める作業もクラスで最下位でした。
国語の成績も良くありませんでした。音読も下手で、小学生の時、何回もつまったり言い直したりして、たどたどしい日本語の音読をクラスメイトの前で披露した恥ずかしい思い出を今も昨日の事の様に覚えています。
当時(40年前)、今の様な発達診断というものがあれば、私も「学習障害」という枠組みに、入れられていたかもしれません。
しかし、高校の時にクラスメイトが読んでいた小説「竜馬がゆく」に感化され、読んでみると、その面白さに引き込まれ、それ以降、小説を読むようになり、本を読む事が好きになりました。小学校生時代の経験で、「本を読む事は苦手」と刷り込まれ、国語の成績も良くありませんでしたが、それ以来本を読む事が好きになり、国語の勉強も苦ではなくなり、成績も伸び始めました。「好きこそものの上手なれ」という事だと思います。
ここで私が言いたいのは「努力すれば、なんでも良くなる」というような根性論の様なものではありません。それぞれにある凸凹も切り口を替えれば上手くいくこともあるとは思います。
必ず見つかるようなものでもないと思いますが。見方ややり方、切り口を変えてみるのは1つの方法なり得ると思います。
現在分かっている事
現在、自閉症に相関すると考えられる遺伝子は遺伝子学に基づき信頼しうる物から、可能性の低いと考えられるものまで1,200を超えています。(SFARI | SFARI Gene)この事を考えると、想像以上に、私を含めた多くの人が大なり小なりそのどれかの遺伝子を持っている可能性があります。
ある研究では遊牧民であればADHDの人の方が良好な健康状態になる一方、定住して農業を営むようになった彼らの親族は栄養不良を起こしてしまったような事があるようです。(注意欠陥多動性障害は遊牧民には有利か、米大学研究 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News)
これらの様な事を考えると、「何をもって正常とし、何をもって障害」とするかという事は相対的なものであり、「発達障害」と言われるものは特にその要素が多いと思います。つまり、「私達の社会が創り出した障害」と言える側面もあるのではないかという事です。
社会が「多様性」をひとつの社会の在り方として必要としてきているので、これからは色々なヒ人が輝ける世界になってくるのではないのでしょうか。
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