「障害受容とはあきらめでも居直りでもなく、障害に対する価値観(感)の転換であり、障害をもつことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずること」(上田[1980])
障害を負って、約20年が経過する中で、障害を受容することに、当事者として深く考えたことは無かったです。この言葉を聞いても、「自分自身はできている時とできていない時があるな」くらいにしか思いませんでした。しかし、今回改めてこの言葉について考えるにあたって、調べてみると、上記の記述に出会いました。この通りだとすると障害受容はとりあえずできていると思います。
「どれくらい受容するのにかかったか」とか「何が受容するきっかけになったか」など、できるだけこの事に関して客観的に考えたいと思います。
はじめに、脳出血を起こし、意識不明になってから正気に戻るまで、約1ヶ月かかりましたが、1ヶ月経過していたとはいえ、自分の感覚として「昨日まで普通に歩いたり走ったりしていた自分の身体が、突然全くいう事をきかなくなった」という感じで、夢のようでした。当時は寝て夢を見ると、そこには元気な自分がいて、前までのように走ったりして、大好きな運動をしていました。
しかし、目が覚めると、以前のように身体が動かない現実があり、目を開ける時、毎朝、悪夢を見さされているようでした。特に入院中はそんな目覚めを毎日繰り返していました。
また、手術を受けた入院先から、リハビリテーションのための病院に転院した時も、そこにいるたくさんの同じような境遇の人を見て、「この人(障害者)達と同じになってしまった」と思った事を覚えています。半身麻痺などで身体が不自由な患者さん達が沢山いました。談笑している彼らを見て、「本当は身体が不自由になって、心から笑えないのに、痩せ我慢して笑っている」という様にしか思えませんでした。
入院生活を続けていると、そういう環境が普通になり、次第にその様な気持ちは薄れていきましたが、そこを退院し、自宅に戻った時にも乗り越えるべく壁がありました。当たり前ですが、病院は完全なバリアフリーで、廊下も全く凹凸がなく、車椅子で行けないところはありませんでした。しかし、自宅へ帰ると、車椅子で行けるところの方が少なく、一挙手一投足に誰かの介助を要しました。
以前は自分の90歳近い祖母と一緒に生活していて、身体的に助けることはあっても、助けられることは当然ですがありませんでした。しかし、退院後は自由に歩くこともできず、風呂に入ったり、トイレに入ったりする基本的な生活の動作でも、祖母に少し手を借りたり、見守ってもらったりしなくてはなりませんでした。
入院していた時には薄れていった、「いろいろな事ができなくなった自分」という感覚が再び呼び戻されたようで、それを咀嚼するのに時間がかかった事を覚えています。
退院当時は「なんとしても以前のような状態になって、復活するんや」という気持ちで、通院してリハビリをする傍ら、鍼灸や整体など様々な民間療法を渡り歩きました。「社会復帰するためにも、まず身体を元通りにしなければ」との思いで、必死でした。このような気持ちだったので、毎日身体の事ばかり考え、空いた時間にインターネットでネットサーフィンをすると、リハビリの事ばかりで、本もリハビリについてのものしか読みませんでした。「完全復活」の4文字を合言葉に日々を過ごしていました。
そんな生活を送る中、ネットで「そこで施術をしてもらった人が瞬く間に元の状態に戻った」というような記述を見つけ、その民間療法で整体と鍼灸の施術をしていただくことにしました。電車を乗り継いで1時間以上かかりましたが毎週通う事にしました。民間療法だったので国民健康保険の適用がなく、施術費だけで1回5000円かかっていました。(施術には5000円のコースと10000円のコースがありました。)
ある時、そこの先生が「なんで、10000円のコースを受けないの、もっと良くなるのに。」と言われました。私が、「やっぱり働いていない僕にとって、10000円は高額で、5000円でも高額なぐらいですから無理です。」と言うと、「こんな身体になったんだから、親も払ってくれるよ」というような事を言われました。正直、「ムッ」とし、少し怒りを感じましたが、同時に「そんなことを言われる隙がある自分にも、非がある」と思いました。この事を機に民間治療を探し、「誰かに(もしくは何かに)直してもらう事」を止め、就職活動を始めました。
当たり前の話ですが、健常者でもなかなか満足きる仕事に就けないのに、障害者になった私には、より一層選択肢が狭まり、満足できる就職先を見つける事はできませんでした。結局、通院していた先の担当PT(理学療法士)の奨めで、ST(言語聴覚士)の学校に行くことになり、いろいろな方の支えのおかげで、無事STになり、現在に至っています。
たまたま、民間療法の先生に言われた言葉に反応して、進み出した人生ですが、これは福沢諭吉「学問のすすめ」の中で言っている「独立心」に通じる事だと思います。それまでは「誰かに(何かに)治してもらおう」という心持ちで、藁をもすがる気持ちでいましたが、この事で「とにかく自分で何とか道を切り拓く」という気持ちになれました。それからは自分の身体の状態にあまりとらわれずに、自立するための行動ができました。
現在も左半身は不自由で、障害はまだまだ残っていますが、毎日それに囚われる事もあまり無く、毎日そこそこ充実した生活を送っています。
今でも、乗りたいバスや電車に走ることができずに、間に合わず、乗車できなかったりすると、自分の足が思うように動かない事に、イラッとすることもありますが、その程度の事です。
もしかすると、障害を負った事をこのように綴ること自体が、それに囚われている事になるのかもしれません。しかし、もし過去に戻ることができて、障害を負う人生かそうでない人生のどちらかを選べるとしたら、今の人生を選ぶと思います。なぜなら、このようになったことで、失うものもありましたが、家族等それ以上に得るものが多かったからです。
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