この優生思想という言葉は今までに聞いたことはあったかもしれませんが、深く考える事はありませんでした。自身が障害を負ったことや、仕事で多くの障害者と関わるようになって、この事について思いを巡らせるようになりました。以前は、「弱肉強食」のような考え方を当然のものとして受け入れていたので、明確には思っていませんでしたが、「その様な考え方も仕方がないのでは」と思っていたような気がします。
第二次世界大戦のさなかナチスドイツが行ったホロコースト(ユダヤ人などに対して組織的に行なった大虐殺)は有名ですが、その影で行われていたT4作戦というものがあったそうです。1939年から1941年の間に約7万人の障害者や難病患者が「生きるに値しない生命」として抹殺されたそうです。この作戦は優生思想に立脚したものであったのですが、非人道的なものであったのは明らかです。
しかし、この優生思想の根っこにある、「弱肉強食」などの考え方は、まだまだ現代の社会にも根付いていて、例えば出生前診断で遺伝子に欠陥があるとされるケースの多くが人工妊娠中絶を選択されているそうです。しかし、遺伝子疾患に対して否定的な思いを抱き、そのような事を行う人を否定するのは、単なるきれい事だと思います。
もし、生まれながらにして立つことができなかったり、思うように身体が動かなかったりすると、不便だと思います。育てる上で、いろいろなことに不便と感じ、多くの労力を要すると思ってしまいます。それは、現代の社会で生きる上では仕方がないと思います。
ただ、疾患があることと「不幸」や「劣等」とは決してイコールにはなりません。
目が見えず、音も聞こえない暗黒の世界で生きることになった、ヘレン・ケラーさんは「私は自分の障害に感謝しています。自分を見出し、障害の仕事に出会えたのもこの障害のお陰だからです。」と言われたそうです。また、以前にも触れましたが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)に羅患しながらも、長年にわたって世界の物理学界を牽引したスティーブン・ホーキングさんは自身で歩けなくなられました。
「優生」だから「幸せ」とは限りません。また、何をもって「優生」とみなすかもよくわかりません。健常者と言われる人のように、自分の足で立って歩く事ができればできない人より優生(優れている)とも限らないと思います。
The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched. They must be felt with the heart.「世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。それは心で感じなければならないのです。」とヘレン・ケラーさんは言われたそうです。
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