コミュニケーションについて言語聴覚士になるまで・・・いや、なってからでも深く理解できていない思います。未だに理解できておらず、理解している(しようとしている)途中のような気がします。
私は脳出血を約20年前に起こし、身体障害者となりました。現在はおかげさまで、社会復帰を果たし、家庭も持つこともできています。当初は、歩く事もできず、絶望の淵を彷徨っていましたが、様々な人の支えのおかげで、現在のように、毎日働き、家族を支える事ができています。
中村天風
社会復帰を支えてくれた人の中に、「中村天風」氏がおられます。もちろんお会いした事はないのですが、彼の本を通して出会い、支えとなっていただきました。
中村天風という昭和初期の思想家で京セラ創業者の稲森和夫氏や松下電器の創業者、松下幸之助、また元首相の原敬や太平洋戦争の連合艦隊司令長官の山本五十六、そして皇族に至るまで様々な方に師事され続けている方がおられました。
略歴 本名は中村三郎。明治9年(1876年)、役人の息子として東京で生まれた。喧嘩で高校生の時に同級生を殺してしまう。気性の激しさから、親も心配して、頭山満の玄洋社に預けることにした。血気盛んで、その後も喧嘩に明け暮れる日々だった。日清・日露戦争では軍事探偵になる。しかし、過酷な環境ということもあり当時は不治の病だった奔馬性肺結核を患い、死の宣告を受ける。 その病と向き合い、米国に渡り華僑の息子になりすまし、医学博士の学位を取得した。ヨーロッパにも渡り哲学の勉強などを通して、人生を切り開こうとしたが、癒えることがなく、失意のどん底で日本に帰ろうとした時に、ヨガの聖者であるカリアッパ氏に出会う。この師の下、ヒマラヤのカンチェンジュンガで修行。激しい修行の末、大悟に至る。 「生命は、生きて、生きて、ひたむきに生き抜くものである。生き抜くために生命は、強い力と素晴らしい知恵を保有している。生命は力と知恵を行使して、絶妙な創造活動をする。そして生物は進化し人間は向上するものである。」と三郎の澄んだ眼に宇宙の様相が明確に見えてきた。 その後、中国最高政務顧問として中国滞在後、日本へ帰国。実業界に身を投じ、銀行の頭取や複数の会社経営で成功を収めるも、思うところが有り、全てを投げ打ち、上野で辻説法をはじめた。結核はいつしかその活動を止め、レントゲン上にただその痕跡を留めるだけになった。 |
その本の中で、彼は「言葉の力」について言及されていて、「創造主によって便利な言葉を我々人間にだけ与えられている」というふうに述べておられます。最初に読んだ時は、「そうなんか」と深く考えもしませんでした。そして、その意味の深さをまだ理解できておらず、未だに反復して咀嚼しています。
まだまだ、コミュニケーションやコミュニケーションにとって大切な役割を果たしている言葉の力や役割について、理解できていません。もしかすると見当違いな方向に進んでいるのかもしれません。まだまだ勉強の途中で、知らない事の方が多くあります。その勉強の過程をこのブログで綴っていければと思います。
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