プロフィール

名前 ちゃ

性別 男性

職業 言語聴覚士

年齢 50歳

所有資格 危険物取扱者乙種4類

     第二種電気工事士

     言語聴覚士

     実用英語検定 1級

     通訳案内士

    

2001年に脳出血を起こすまで、電気工事士として働いていました。発症後、肉体労働ができなくなったために、学校へ行き直し、30歳を越してから言語聴覚士(ST)という、主に病院で言葉のリハビリに携わる仕事をさせていただけることになりました。STは主に言葉などを介したコミュニケーションのリハビリテーションを手伝う仕事です(この他、食べる事に対するリハビリテーションにも携わります)が、人間関係(コミュニケーション)について考える事が毎日のライフワークとなっているのは、私だけではないと思います。STとしてだけでなく、いろいろな角度からのコミュニケーションについて考えていきます。

脳出血で障害を負った後、受傷前より幸せになる過程で思うこと

2001年の8月に私は脳出血で倒れました。夜遅くに倒れたのですが、友人たちの目の前だったという事もあり、すぐに病院に運んでもらい、一命をとりとめました。その時、私は27歳でしたが、その27年分の人生のほとんどが覆る事になったと思います。

 「覆る」といっても、「台無しになる」といった意味ではなく、「それまでの事が目の前でバラバラになり、新しい形で積み上げ直さなければならなくなる」というような意味だと思います。

 病院に運ばれたのが午前0時近くなった頃でしたが、そこからすぐに緊急の開頭手術が始まったわけではなく、検査で出血部位などの詳細を確認したあと、人員(看護師等の医療スタッフ等)や物品(輸血用の血液等)の準備があったために、実際に手術が施行されたのは翌朝になってからの事だったそうです。具体的な手術時間はわかりませんが、朝に始まった手術はその日の夕方に終わったそうです。

 手術を始める前に、両親とその時一緒にいた友人たちに、執刀医から「手術の結果、命を落としてしまう可能性もありますが、もし成功しても、必ず左半身に障がいが残ります。」という説明があったそうです。

 右脳の前頭葉と頭頂葉というところの間で出血したようでした。手術は成功したものの、意識が完全に戻ったのは、それから約1ヶ月後でした。忠告された通り、障害は残りました。

 その後、色々ありました(これからもあると思います)が、今は子宝にも恵まれて、本当に幸せな生活を送っています。「障害は不便ですが、不幸ではありません。」という言葉(乙武洋匡さんの本で最初に見た言葉でしたが、ヘレン・ケラーさんも言っていた言葉だそうです)を体現できているかと思います。(決して、‘強がり’ではないと思っています。)

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